記事のアーカイブ

「人の創造」

2018年06月22日 17:07
 1章24~28 「神は言われた。『地は、それぞれの生き物を産み出せ。家畜、這うもの、地の獣をそれぞれに産み出せ。』そのようになった。神はそれぞれの地の獣、それぞれの家畜、それぞれの土を這うものを造られた。神はこれを見て、良しとされた。神は言われた。『我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。』神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。神は彼らを祝福して言われた。『産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。』」  

「生きものの創造」

2018年06月22日 16:59
  1章20~23 「神は言われた。『生き物が水の中に群がれ。鳥は地の上、天の大空の面を飛 べ。』神は水に群がるもの、すなわち大きな怪物、うごめく生き物をそれぞれに、また、翼ある鳥をそれぞれに創造された。神はこれを見て、良しとされた。神はそれらのものを祝福して言われた。『産めよ、増えよ、海の水に満ちよ。鳥は地の上に増えよ。』夕べがあり、朝があった。第五の日である。」   原初史物語の天と地の創造の第五の日は生きものの創造。生きもののうち、海の中の生きものと、大空を飛ぶ生きものが言及される。   原初史物語において海と大空は水を置く場所。その「水」であるが、原初史物

創立91周年記念礼拝へのお誘い

2018年06月17日 12:00
私たち、中野桃園教会は、2018年7月で創立91周年を迎えます。これを記念し、感謝の礼拝と愛餐会を下記のように予定しています。 みなさまのご出席をお待ちしております。 礼拝 2018年7月1日(日)10時30分~11時30分    メッセージ「新しい旅へ」 下田 洋一 牧師 愛餐会     同日  12時~ 

今、教団のなすべきこと

2018年06月17日 10:30
 かつてわたしたちの日本基督教団は隣国の教会に神社参拝を強要しました。この神社参拝は天皇を神として崇拝することでした。 隣国のキリスト教徒は神ではないものの崇拝を強要するこの神社参拝を拒否しました。 この国日本の官憲は隣国のキリスト教徒を捕縛しました。隣国のキリスト教徒は獄中で拷問を受け殺されました。 日本基督教団はこの歴史の事実と向き合ってきませんでした。この歴史の事実を知る学習をしないできてしまいました。 この罪過を犯した日本基督教団は北朝鮮のキリスト教徒たちに対していまだ謝罪しておりません。 日本基督教団は「戦争責任告白」を50年前になしておりますが、これですべてを済ませるわけ

〈季節〉  

2018年05月26日 12:02
1章14~19 「神は言われた。『天の大空に光る物があって、昼と夜を分け、季節のしるし、日や年のしるしとなれ。天の大空に光る物があって、地を照らせ。』そのようになった。神は二つの大きな光る物と星を造り、大きな方に昼を治めさせ、小さな方に夜を治めさせられた。神はそれらを天の大空に置いて、地を照らさせ、昼と夜を治めさせ、光と闇を分けさせられた。神はこれを見て、良しとされた。夕べがあり、朝があった。第四の日である。」   物語は、神が大空に二つの光る物を造ったと語る。その二つは「太陽」と「月」のことであるが、ここでその名は出されていない。   古代オリエントにおいて、太陽と月は神

問 題

2018年05月13日 10:30
新約聖書はナザレのイエスにおいて罪からの自由が実現したと証言しております。ある人はその罪について高慢と怠慢と虚偽の罪であると解説しています。それをかいつまんで紹介しますと、 ナザレのイエスを十字架刑につけた当時の権力者たちについて言い得ることは高慢の罪が現れ出たということ。また、イエスを十字架刑に追い込んでゆく過程で、イエスを十字架刑にすることは正当なことではないとしてこれを止める努力をする者が当時の権力者たちの中にいなかったが、この過程で現れているのは怠慢の罪であるということ。さらに、イエスを十字架刑に値するとするために当時の権力者たちのつくった告訴状は虚偽のそれであったということ。この罪に

 [委託]

2018年04月15日 13:31
1章11~13   「神は言われた。『地は草を芽生えさせよ。種を持つ草と、それぞれの種を持 つ実をつける果樹を、地に芽生えさせよ。』そのようになった。地は草を芽生えさせ、それぞれの種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける木を芽生えさせた。神はこれを見て、良しとされた。夕べがあり、朝があった。第三の日である。」    ここには天と地の創造の三日目のこととして、「種を持つ草」「種を持つ実をつける果樹」が創造されたとある。ここで、それが何を意味するか探ることにする。   創世記1章の天と地の創造物語の終わりの29節と30節にはこうしるさ れている。 「神は言われた。『見よ、全地

群 衆

2018年04月01日 10:30
 新約聖書の福音書によればイエスの十字架刑にはいろいろな者たちが関わっているが、今日注目しておきたいのはイエスの十字架刑の判決の場に登場している〈群衆〉についてである。 イエスを十字架刑へと策動したのはユダヤ最高法院体制の指導者たちであるが、イエスの十字架刑判決の場でイエスを十字架刑にせよと叫んだのはかれらではなかった。それをさせられたのは群衆であった。ここには重要なことが言われているとおもう。 新聞の報道によれば、政府・財務省の者たちが公文書を書き換えたという、それは安倍政権を擁護するためであったという。わたくしは推測するのだが、その公文書の書き換え作業を実際におこなった者たちとい

「地」

2018年03月09日 10:15
1章9~10「神は言われた。『天の下の水は一つ所に集まれ。乾いた所が現れよ。』そのようになった。神は乾いた所を地と呼び、水の集まった所を海と呼ばれた。神はこれを見て、良しとされた。」ここで原初史物語の作者は、神は天と地の創造の業の三日目に「乾いた所」を造った、神はその「乾いた所」を「地」と呼んだ、と語る。そして、神はこの三日目に「水」を置く所を創造し、その「水のある所」を「海」と呼んだ、と語る。ここで原初史物語の作者は、神は「地」を「乾いた所」として創造した、すなわち「地」を「洪水」のない所として創造した、つまり、「洪水」の暗喩で言われている戦争暴力のない所として神は「地」を創造した、と語る。

教会の信仰告白

2018年03月04日 10:30
 新年度は中野桃園教会の礼拝おける「信仰告白」について検討することとなった。教会は〈イエスはキリストである〉と信仰告白するところであるが、じつはこの後に難しい問題が待っている。この告白に言われている〈キリスト〉をどう理解するか、これが簡単なことではない。 イエスのキリストであることを知るため四つの福音書があるが、そのキリスト理解は多様であり、それを一つにしてしまうことはできない。わたくしは礼拝のメッセージでその多様さを活かしてゆくことに努めている。 わたくしはその際、尊重しているものがある。それは古代の教会がイエスのキリストであることの理解において紆余曲折を経てようやく辿り着いた信仰
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