記事のアーカイブ

問 題

2018年05月13日 10:30
新約聖書はナザレのイエスにおいて罪からの自由が実現したと証言しております。ある人はその罪について高慢と怠慢と虚偽の罪であると解説しています。それをかいつまんで紹介しますと、 ナザレのイエスを十字架刑につけた当時の権力者たちについて言い得ることは高慢の罪が現れ出たということ。また、イエスを十字架刑に追い込んでゆく過程で、イエスを十字架刑にすることは正当なことではないとしてこれを止める努力をする者が当時の権力者たちの中にいなかったが、この過程で現れているのは怠慢の罪であるということ。さらに、イエスを十字架刑に値するとするために当時の権力者たちのつくった告訴状は虚偽のそれであったということ。この罪に

 [委託]

2018年04月15日 13:31
1章11~13   「神は言われた。『地は草を芽生えさせよ。種を持つ草と、それぞれの種を持 つ実をつける果樹を、地に芽生えさせよ。』そのようになった。地は草を芽生えさせ、それぞれの種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける木を芽生えさせた。神はこれを見て、良しとされた。夕べがあり、朝があった。第三の日である。」    ここには天と地の創造の三日目のこととして、「種を持つ草」「種を持つ実をつける果樹」が創造されたとある。ここで、それが何を意味するか探ることにする。   創世記1章の天と地の創造物語の終わりの29節と30節にはこうしるさ れている。 「神は言われた。『見よ、全地

群 衆

2018年04月01日 10:30
 新約聖書の福音書によればイエスの十字架刑にはいろいろな者たちが関わっているが、今日注目しておきたいのはイエスの十字架刑の判決の場に登場している〈群衆〉についてである。 イエスを十字架刑へと策動したのはユダヤ最高法院体制の指導者たちであるが、イエスの十字架刑判決の場でイエスを十字架刑にせよと叫んだのはかれらではなかった。それをさせられたのは群衆であった。ここには重要なことが言われているとおもう。 新聞の報道によれば、政府・財務省の者たちが公文書を書き換えたという、それは安倍政権を擁護するためであったという。わたくしは推測するのだが、その公文書の書き換え作業を実際におこなった者たちとい

「地」

2018年03月09日 10:15
1章9~10「神は言われた。『天の下の水は一つ所に集まれ。乾いた所が現れよ。』そのようになった。神は乾いた所を地と呼び、水の集まった所を海と呼ばれた。神はこれを見て、良しとされた。」ここで原初史物語の作者は、神は天と地の創造の業の三日目に「乾いた所」を造った、神はその「乾いた所」を「地」と呼んだ、と語る。そして、神はこの三日目に「水」を置く所を創造し、その「水のある所」を「海」と呼んだ、と語る。ここで原初史物語の作者は、神は「地」を「乾いた所」として創造した、すなわち「地」を「洪水」のない所として創造した、つまり、「洪水」の暗喩で言われている戦争暴力のない所として神は「地」を創造した、と語る。

教会の信仰告白

2018年03月04日 10:30
 新年度は中野桃園教会の礼拝おける「信仰告白」について検討することとなった。教会は〈イエスはキリストである〉と信仰告白するところであるが、じつはこの後に難しい問題が待っている。この告白に言われている〈キリスト〉をどう理解するか、これが簡単なことではない。 イエスのキリストであることを知るため四つの福音書があるが、そのキリスト理解は多様であり、それを一つにしてしまうことはできない。わたくしは礼拝のメッセージでその多様さを活かしてゆくことに努めている。 わたくしはその際、尊重しているものがある。それは古代の教会がイエスのキリストであることの理解において紆余曲折を経てようやく辿り着いた信仰

創世記から

2018年02月04日 10:00
創世記によると、人にはしてはいけないことがある、それは〈善と悪を知る知識の木の実を食べること〉、これだけはしてはいけない。ここで何が言われているのか。〈善と悪を知る知識〉は次の場合にだけ用いられている。国家の長の王を褒め称えるとき。〈善と悪を知る知識を持っている〉、これは国家の長を讃美するときの最高の句であった。そうすると、創世記の言う〈善と悪を知る知識の木の実を食べてはいけない〉は、〈国家の長を讃美することはしてはいけない〉という意味となる。ここで何が言われているのか。国家が国家の長を讃美するとき、国家には意図がある。それは国家の統合を強めるという意図。国家は国家の統合を強めるとき、国家の長

「水」

2018年01月07日 10:10
1章6~8「神は言われた。『水の中に大空あれ。水と水を分けよ。』神は大空を造り、大空の下と大空の上に水を分けさせられた。そのようになった。神は大空を天と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第二の日である。」創世記の原初史物語はここから天と地の創造について語り始める。物語作者は、神は「大空(おおぞら)」を創造し、これを「天」と名付けたと語る。この「天」と名付けられた「大空」は、物語のここの叙述から言い得ることは、「水」を置く場所として創造された。物語のここの叙述からすると、「水」を置く場所が上方に造られ、下方に造られた。下方はこの後にしるされる「海」のことであるが、上方は「天」(大空)である。つま

風 刺

2018年01月07日 10:00
〈土人〉という言葉は差別語であるが、〈土〉と〈人〉の間に〈の〉を入れると、〈土の人〉となり、これは聖書が人間を言い表すときの言葉となる。それが出ているのは聖書の初めにある創世記である。その創世記によれば、人間は〈土〉で造られた。〈土〉という言葉で意味されていることは〈こわれやすさ〉。創世記が人間は〈こわれやすい〉ものと語るとき意図があった。時代はソロモン王統治のとき、国は栄華を極めていた。それは国が武力によって周囲の諸民族を鎮圧したことによって得られた。国が栄華を極めるために必要な武力は〈強い者〉が担うのであって、〈こわれやすい者〉は役に立たない。創世記が人間は〈土で造られた者〉すなわち〈こわ

「主権」

2017年12月05日 10:12
ここで、1章4~5にしるされているところにあらためて注目してみる。「神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。」原初史物語における神の創造行為は第一日から第七日に及ぶが、そのそれぞれに「分ける」が出てき、そして分けた後、そこに分けられた双方のものに「名を付け、その名を呼ぶ」がなされている。第一日目は「光・闇」を分け、第二日目は「空・海」を分け、第三日目は「陸・海」を分け、第四日目は「太陽・月」を分け、第五日目は「空と海の生き物を種類」に分け、第六日目は「陸の生き物を種類」に分け、さらに人を「男・女」に分け、第七日目は「安息の日とそうではない日」を分け、このよ

クリスマス礼拝へのお誘い

2017年12月04日 19:11
12月3日からアドベントに入りました。クリスマス礼拝のお知らせです。日時:12月24日(日)10:30~メッセージ:「しるしが与えられる」愛餐会:12:00~どなたでもご参加ください。今年はイヴ礼拝はありません。
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