記事のアーカイブ
「混沌」
2017年09月11日 09:57
創世記の原初史物語の冒頭には「神は天と地を創造した」とある。前回は「天」に焦点を合わせてみたが、今回は「地」に焦点を合わせ読み進めることに。1章2には「地」について言及されている。1章2「地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。」ここには「地」の状況が描かれている。それは「地は混沌であって」という状況である。「混沌」は無秩序の極に至った全壊滅の状況を言い表す。では、具体的にはいかなる状況であったか。わたくしはそれを解する手掛かりを〈エレミヤ書4章23〉に求める。そこには地の状況が描かれ、そこも「地は混沌とし」と言い表されている。「わたしは見た。見よ、大地は混沌とし、空
水
2017年09月10日 16:48
今年の8月はひどく暑かった。水をたくさん飲んだ。安心して水をこんなにたくさん飲むことができることに感謝した。
「水」は聖書において主題。早くも聖書の初めの創世記1章1節に登場。そこにこうしるされている、「地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。」
ここの水は「地は混沌であって」の原因として登場。「混沌」とは全壊滅の様をさす。ここの水は地の全壊滅の原因として登場している。
さらにこうしるされている、「神の霊が水の面を動いていた。」この「動いていた」は「制御していた」の意味に解せられる。ここにしるされていることは、神の霊が地の全壊滅の原因となる水を制御し
ルター先生の教え
2017年09月03日 10:00
キリスト教は何を語る宗教であるかと問われたら〈神の恵みによってのみ人は義とされる〉とわたくしは答える。では神の恵みによる義とはどういうことであるかと問われたら〈律法によって人は義とされる〉を否定することとわたくしは答える。これは500年前の大先生ルターから教わった。ルター先生によると、この〈否定〉というところが重要で、この〈否定〉を語らないで〈神の恵みによる義〉を語るのは意味がない。律法は〈社会通念〉の中に入り込んでいる。たとえば、〈世話をされないと生きてゆけない人は世の中にいられない〉、律法は今日この社会通念の中にある。もしルター先生が今日再登場したら、〈神の恵みによる義〉を語ることはこの社
創世記 1章1 「初めに、神は天地を創造された。」
2017年08月17日 15:15
原初史物語の冒頭で、まず留意したいところは、物語作者が神の創造したものに「天」があるとしているところ。この「天」は、この後しるされているが、「蒼穹・おおぞら」のことを指している。この「天」(蒼穹・おおぞら)であるが、原初史物語の時代の人々にとっては「分からない所」であったという。そうすると、原初史物語の作者が「神は天を創造した」と語ったとき、「神は人間には分からない所を創造した」と語ったことになる。ここではじめに述べなければならないことがある。わたくしはこの「天」というところに関心を持っていなかった。が、ある文章を読んで、それではいけないとおもうに至った。まずはそのあたりのところから述べること
マルコ福音書から(38)16章1~8 《ガリラヤに行く》
2017年08月10日 10:54
マルコ福音書の読みは最終章に来た。何が言われているであろうか。三人の女たちが安息日の明けた早朝、取り急ぎ埋葬されたイエスに本格的な埋葬をするべく墓に行く。不思議なことに墓の扉の大きな石は取り除けられていた。三人の女たちが墓に入ると、そこに白い衣をまとった者がいた。その者は彼女たちに言った、「ナザレのイエスに会いたいのであればガリラヤに行くとよい。そこで会うことができる。」ここでわたくしの推量を言うことになるが、三人の女たちはナザレのイエスに会うためにガリラヤに行った。ここで考えたい、「ガリラヤに行く」とはどういうことを意味しているかについて。墓の中の白衣をまとった者は三人の女たちに「ガリラ
「平和への誓い」
2017年08月06日 10:00
8月6日72年目の「原爆の日」を迎えた。広島の平和記念公園で「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」が行われた。その式において広島の小学6年生の二人、竹舛直柔さんと福永希実さんによって、「平和への誓い」が朗読された。それをここで紹介する。「原子爆弾が投下される前の広島には、美しい自然がありました。」そこには「一緒に創るはずだった未来がありました。」(しかし)「1945年8月6日午前8時15分、広島の街は焼け野原となりました。広島の街を失ったのです。多くの命、多くの夢を失ったのです。当時小学生だった語り部の方は『亡くなった母と姉を見ても涙が出なかった』と語ります。感情までも奪われた人がいたのです。 しか
わたしのシェルター
2017年07月02日 10:00
この国の今の政府は秘密保護、安保、共謀罪の法案を次から次へと出し、多数与党はこれを可決。これらは国民の間で賛否がおおきく分かれているもの。当然のことながら国民の間に対立が深まった。が、この対立は今の政府に都合がよいようだ。今の政府は対立を生じさせ、それによって生じた一定の固定した勢力を政権維持の基盤にする、という手法を取る。この手法はこのあたりでやめさせなければならない。というのは、この手法はやがて「テロ」を生むことになるからである。わたくしはこのたび大江健三郎の『定義集』(文庫版)を繰り返し読んだ。解説を作家の落合恵子が書いている。その題は〈「意志的な楽観主義」をタイトルに借りて〉。「意志的
中野桃園教会 創立90年記念礼拝へのお誘い
2017年06月11日 17:03
日本基督教団 中野桃園教会は7月初めに創立90年を迎えます。7月2日(日)10:30から記念礼拝をおこないます。メッセージは「ノアの箱舟」です。また、礼拝後に愛餐会を予定しております。皆様のご出席をお待ちしています。
人権の感覚
2017年06月04日 10:00
岩波新書に日高六郎『戦後思想を考える』がある。この書の冒頭に三木清の獄死のことが書かれている。著者いわく、「日本は、戦後、おそらくもっとも重要な思想的な仕事をしたであろうひとりの思想家を失った。」三木は治安維持法によって獄中の人となり獄死した。三木が獄死したのは1945年8月15日(敗戦)以前ではなく、それから一カ月以上たった9月26日であった。日本政府は敗戦後も三木を釈放せず獄死させた。三木清の獄死を聞いたロイター通信の記者がおどろいて日本政府の山崎内相に面会を求める。このとき内相はこう答えた〈思想取り締まりの秘密警察は現在なお活動を続けており、治安維持法によって違反者は逮捕する。〉日本政府
マルコ福音書から(37)15章21~32 《自助の思想を棄てよ》
2017年05月27日 14:06
物語はイエスの最期の姿を描く。
そこには十字架につけられたイエスに対する人々の嘲笑と罵倒の言葉が記されている。
「『十字架から降りて自分を救ってみろ。』同じように、祭司長たちも律法学者
たちと一緒になって、代わる代わるイエスを侮辱して言った。『他人は救った
のに、自分は救えない。メシア、イスラエルの王、今すぐ十字架から降りる
がいい。それを見たら、信じてやろう。』」
ここには、他人を救ったのに自分は救えない、自分を救えず自分を救わない、そういうイエスが描かれている。
ここに登場する人々は多種多様の人々であり、立場の全く異な
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