記事のアーカイブ

マルコ福音書より(23)10章46~52  〈何をしてほしいのか〉

2015年10月14日 11:46
イエスはひとりの盲人に問うた、 「何をしてほしいのか。」   この問いは、きょうの物語の前に置かれている物語にもある。10章36節であるが、イエスは二人の弟子たちに同じ問いを向けている。   推察するに、この問い「何をしてほしいのか」が二つの物語を関係づけている。そして、その関係づけは逆対照、つまり逆のものを並べて対照している。    きょうの物語ではイエスの問い「何をしてほしいのか」に対し、ここに登場している盲人は「見えるようになりたいのです」。きょうの物語の前に置かれている物語ではそこに登場している二人の弟子たちは「栄光をお受けになる時、わたしどもの一人をあな

希 望

2015年10月04日 10:30
反安保法案デモ集会に若い人たちの参加が目立った。若い人たちの率直な物言いに新鮮さを感じた。購読の新聞に載っている写真には若い人たちの顔が溢れていた。私はこれまでとは違うものがこの国社会に動き始めているのではないかと思った。 私はこの若い人たちの物言いを私なりに言い直せば「わたしは殺されたくないし、人を殺したくない」。私はこの若い人たちの言っていることに深く感じ入るものがある。 このたび可決された法が適用されたら、殺されるのも人を殺すのもまずは自衛隊の隊員たちである。若い人たちが「わたしは殺されたくないし、人を殺したくない」と言うとき、もちろん自分自身のことを思って言っているにちがいないのだが、

11月8日(日)「永眠者記念礼拝」のご案内

2015年10月01日 14:23
下記の予定で、永眠者記念礼拝を催します。 ・礼 拝 10:30~11:40 ・愛餐会 12:00~13:00 ・メッセージ 「平和」 ・聖書    ヨハネ福音書20章19~23 普段なかなか礼拝にいらっしゃれない方も、この機会にぜひご参加ください。

マルコ福音書より(22)10章17~22   〈永遠の命〉

2015年09月24日 09:49
ある人がイエスの所に来て問うた、 「永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいのでしょうか。」   イエスは答えた、 「殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、奪い取るな、父母を敬え。」   この人は答えた、 「そういうことはみな、子どもの時から守ってきました。」   イエスはこの答を聞いて言われた、 「あなたに欠けているものが一つある。持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。」   ここでイエスはこの人に財産を手放すことを奨めている。が、はたしてこの奨め自体がきょうの物語のテーマであろうか。   ここで「永遠の命を受け継ぐには何をすればよいか」の答

マルコ福音書より(21)9章14~29  〈信無き我を助け給え〉 

2015年09月24日 09:48
 物語によると、人々は戻ってきたイエスを見つけて非常におどろき駆け寄ってきて挨拶した、ところが弟子たちはイエスが戻ってきたのに気付かなかった、議論に夢中になっていたからである、とある。   ここには二つのものを比べるという描写の方法がとられている。イエスを見つけて非常におどろく人々と、議論することに夢中になっていてイエスに気付かない弟子たちと、この両者が比べられている。この描写の意図は、弟子たちのこのありようはこれでよいのだろうかという批判にあると思われる。   イエスは弟子たちに議論の内容を尋ねた。そのとき弟子たちは黙っていて、答えられなかった。弟子たちが答えられない理由

「戦後70年談話」

2015年09月06日 10:30
  「戦後70年談話」が発表された。そこに次の文章がある、「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。」 私はここに「談話」を出した動機があると思った。「談話」は「事を済ませるために」出されたのではないか。 私は苦い経験を思い起こした。それはこういう経験である。 事件が起こった。その事件で被害者と加害者が生じる。被害者は傷をつけた加害者にその旨を言う。加害者は言う「そのつもりはなかった」。被害者はその答えで納得しない。そこで加害者はこう考えるようになる、ここは加害を認めよう、謝罪をせよという要求に応じよう

マルコ福音書より(20)8章27~33   〈叱りつけた〉 

2015年08月12日 15:13
  イエスは弟子たちに問うた、「人々は、わたしのことを何者だと言っているか。」 弟子たちは世間の評価を述べる。イエスはそれを聴いた後、弟子たちに問うた、 「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」   すると弟子たちを代表してペトロが答えた、 「あなたは、メシアです。」   するとイエスは「ご自分のことをだれにも話さないようにと戒められた。」   ここでイエスはペトロの答えた「あなたはメシアです」をだれにも告げてはならないと言われた。ここの「戒められた」は「叱りつけた」である。つまり、イエスのメシアであることを人々に言うことはイエスによって厳重に禁じられ

マルコ福音書より(19)6章45~52 〈わたしだ〉

2015年08月12日 15:11
  きょうの物語は嵐の海で立ち往生する舟の中の弟子たちにイエスが海を歩き近づいてゆく物語である。   物語は「イエスは弟子たちを強いて舟に乗せた」「イエスだけは陸地におられた」と記しているところからして、この物語はイエスが弟子たちに嵐の海で立ち往生する体験を敢えてさせた物語、と言ってよいだろう。   そう読んだうえで、この物語のテーマは何であるかを問うとどうなるか。 わたくしの読むところ、この物語のテーマは次のイエスの言葉にあるのではないか。   「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」    福音書はイエスについて証しするとき、イエスは

マルコ福音書より(18)7章24~30  〈しなやかに〉

2015年08月12日 15:10
きょうの物語には女性が登場している。 彼女は多くの困難を抱えていた。   彼女の娘は難病に苦しむ。彼女に経済的な支えとなる者はいなかったと思われる。 当時の社会の父権制の中で彼女は不利な状況を強いられていたことであろう。 以上に加えて、彼女がギリシャ人であったことも、ユダヤ教徒の多住する社会の中においては異邦人として区分けされ、不利な状況を被っていたことであろう。   ここに登場する彼女は、このような事情を抱えていた。 ここで、このような事情を抱えていた女性が、イエスに会いに来た。   彼女はイエスに願いをぶつける。激しくぶつける。 多くの困難を抱えている彼女であ

9月13日・「長寿を感謝し祝う会」のご案内

2015年08月07日 19:46
10:30 より約1時間 長寿への感謝礼拝と祝う会を行います。 ぜひご自由にご参加ください♪
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