マルコ福音書から(36)15章6~15 《無権力者》
イエスは十字架にて処刑された。
このことについて、改めて考えてみたい。
ローマ帝国が実施していた十字架刑は、国家に反する政治犯に対する刑罰であった。イエスが十字架刑に処せられたということは、国家反逆罪を犯した政治犯とみなされたということであった。
ローマ帝国のユダヤ総督ピラトは、イエスの言動がローマ帝国に対する国家反逆罪に当るかについては疑問を持っていたようである、彼の判断ではイエスが抵触しているのはユダヤの律法であって、したがって、その限りで処すべきことであったとしていたようである。歴史の実際はそうでなかったかもしれないが、ともかく福音書からはそう読み取れる。
当時、ユダヤにはローマ帝国支配を排除する武装蜂起の運動集団があった。その中でよく知られているものに「熱心党」があった。十二弟子のシモンは熱心党員であったと明記されている。弟子筆頭のペトロも熱心党に傾いていたのではないかと思われる。
ペトロはローマ帝国官憲がイエスを捕縛に来た時、剣を抜いて官憲の一人の耳を切り落としたとする記事がある。この記事から推察するに、反ローマの戦いが始まった暁にはすぐさま参加することができるよう熱心党員たちはマントの裏に短剣を忍ばせていたと言われているので、ペトロが熱心党員であったかはともかくとして、心情においては熱心党員のようであったとみてよいのではないかと思う。
イエスには反ローマの武装蜂起の熱心党員たちを惹き付ける魅力があったのではないか。福音書には、イエスがこの者たちを拒んだとするところが見当たらないので、イエスはこの者たちが自分の周りに集まって来て行動を共にすることを認めていたと言ってよいのではないかと思う。
イエスが十字架刑に処せられたとき、その罪名は「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」であったが、これはローマ帝国に対し武装蜂起の集団の首領の一人と見なされたことを示していると思う。
しかし、それでは、イエスは熱心党の主張に傾いていたのか。
ここで、この福音書の10章に記されているところみてみよう。
イエスは弟子たちに次のように述べている。
「この世では支配者は人々を支配し権力を振るっているが、あなた方はそうであ ってはならない。あなた方は奴隷のするように仕える者でなければならない。」
このときイエスは弟子たちが何を考えていたかを知っていたようである。弟子たちの考えは、この世の悪しき支配を終わらせるためには、自分たちのような良心派が指導権を持たなければならない、とするものであった。
イエスは、こう考える弟子たちに対し、権力に対して権力を持って対抗する、この考えを棄てなければならない、むしろ奴隷のするように仕えるのでなければならない、と言われた。
ここでイエスの言われた「むしろ奴隷のするように仕える」は、この文脈では「権力に対して権力を持って対抗する」を否定する言葉である。したがって、このイエスの言葉「むしろ奴隷のするように仕える」は、権力には権力で対抗することの逆、すなわち権力には無権力で向き合うという意味に解されるべきではないかと思う。
ここで、わたくしは、ここで扱われている権力に関する問題を次の言葉を用いて捉えてみようと思う。それは「律法主義」という言葉である。
「律法主義」という言い方でいっていることは、自分の考えるところに自信を持ち、それを力ずくで押し通す、そういうありようのこと。また、誰にも反対できない命題を掲げ、これを力ずくで押し通すありようのこと、である。
律法主義には律法主義が衝突する。力の優劣によって支配する者と隷従させられる者が生じる。そこには復讐なるものが始まる。隷従させられていた者が支配者となることが起こる。そこには支配と隷従が新たな形で始まる。この権力闘争の根底にあるものは律法主義である。権力闘争と律法主義は表裏一体の関係にある。
この衝突と闘争において犠牲者が出る。犠牲を余儀なくされるのは、いつも権力の下に組み敷かれている者たちである。この事情と構造はどのような権力が主導権を掌握する場合においてもまったく変わらない。権力に対して権力で対抗する、言い換えれば律法主義に対し律法主義で対抗する、このことが続く限り、権力の下に組み敷かれている者たちは犠牲を余儀なくされる。
イエスは十字架刑に処せられた。「処せられた」のは事実であるが、福音書の記すところでは、イエスは「処せられる」ことへと自分から向かって行った。言い換えると、イエスはローマ帝国に国家権力を発動させるべくそこへと向かって行った。
イエスはそこへと向かって行ったとき権力を保持していたのではない。いや、権力の逆のありよう、すなわち無権力でそこへと向かって行った。
ローマ帝国はこの無権力のイエスを十字架刑にて処した。ローマ帝国は国家権力を発動してイエスを国家反逆罪の政治犯として処した。これはローマ帝国が国家反逆罪の政治犯ではない者、その点で無実の者を犯罪者にした、つまり冤罪を犯したと言い得るだろう。
しかし、ローマ帝国は冤罪を犯していないのかもしれない。むしろ、ローマ帝国が無権力のイエスを国家反逆罪の政治犯であるとしたのは、ローマ帝国側からすれば、的を射たことであったのかもしれない。
ここで問うべきことは次のことである。
イエスの無権力のありよう、これは何を意味するか。ローマ帝国の側にとって、この無権力のイエスは何を意味するか。
わたくしの理解を言うと、
イエスの無権力はローマ帝国側にとって国家を否定するものであった。というのは、国家というのは権力を持って立つのであって、国家とは権力であり、国家が無権力であることはありえない、権力を失えば国家は消滅するからである。
ローマ帝国が無権力のイエスを国家に反逆する罪を犯したとして十字架刑にて処したのは、無権力のイエスには国家を成り立たせなくするものがあること、それゆえ無権力のイエスをそのままにしておくことはできない、ローマ帝国側からすれば無権力のイエスを国家反逆罪の政治犯として抹消することは正当なことであった、と、このように言うことができるのではないか。
そう言い得るとすれば、無権力のイエスはローマ帝国の国家の根幹に関わるところで否を突きつけた、ということになるのではないだろうか。
ここで、ローマ帝国の宗教政策について言及しておきたい。
ローマ帝国は宗教に寛容な国家であったようである。それぞれが信じる神を奉じること、礼拝する自由は認められていたようである。ローマ帝国は多神教の国家であった。どういう神を礼拝し奉じるかは、それぞれの自由であったようである。
ただし、ローマ帝国はこの帝国を讃美すること、この帝国の皇帝を礼拝することについては強く要求する国家であった。ローマ帝国は国家を褒め称え、皇帝を褒め称えるということに関しては強制した国家であった。
このローマ帝国の状況の中で最初期のキリスト教は困難を余儀なくされた。キリスト教がキリストであるとするイエスは、ローマ帝国が国家反逆罪の政治犯とみなした者であった。キリスト教はこのイエスをキリストとして礼拝するのであるから、帝国を讃美し皇帝を礼拝することを強いるローマ帝国の支配下にあって困難を余儀なくされた。
キリスト教はこの困難の中でイエスをキリストとして礼拝したのであるが、このことは次のことを意味した。それは無権力で権力の国家に向き合ったイエスをキリストとして証ししたということであった。
きょう、わたしたちは、新約聖書の福音書の受難物語に描かれているイエスのことを読み、権力には無権力で向き合ったイエスのことをいまいちど確認した。
今日、この国の政府は国家の権力を強引に振りかざし政策を押し進めている。この国の政府のこの国家権力行使は極めて危ういものと言わざるを得ない。この危うい政策を強引に進めるこの国の政府をこのままにしておいてはいけない。
今日、わたしたちは、この国の政府の横暴と言うほかない国家権力行使の状況の中にある。わたしたちは福音書のイエスの後について行き、為し得ることを為してゆきたい。