マルコ福音書から(38)16章1~8 《ガリラヤに行く》
マルコ福音書の読みは最終章に来た。何が言われているであろうか。
三人の女たちが安息日の明けた早朝、取り急ぎ埋葬されたイエスに本格的な埋葬をするべく墓に行く。不思議なことに墓の扉の大きな石は取り除けられていた。三人の女たちが墓に入ると、そこに白い衣をまとった者がいた。
その者は彼女たちに言った、
「ナザレのイエスに会いたいのであればガリラヤに行くとよい。そこで会うことができる。」
ここでわたくしの推量を言うことになるが、三人の女たちはナザレのイエスに会う
ためにガリラヤに行った。
ここで考えたい、「ガリラヤに行く」とはどういうことを意味しているかについて。
墓の中の白衣をまとった者は三人の女たちに「ガリラヤに行くとよい。そこで会うことができる」と言ったが、イエスは十字架処刑死しているゆえナザレのイエスはいるわけはない。では「いる」とはどういうことか。それは「復活のイエス」のことであると言うほかない。
この福音書では他の福音書と違って復活のイエスは登場しない。他の福音書はいずれも復活のイエスが登場する。この福音書では、復活のイエスが三人の女たちに現われる場面はない。
白衣をまとった者の言う「ナザレのイエスに会える」は「ガリラヤに行けば」「ナザレのイエスに会える」であるからして、復活のナザレのイエスに会うにはガリラヤに行かなければならない、「ガリラヤに行く」をしないなら、復活のナザレのイエスに会うことはできないということになる。
白衣をまとった者は、ここで、三人の女たちに「ガリラヤに行く」決断を促していると言ってよいだろう。
この福音書では、復活のナザレのイエスに会うにはガリラヤに行かなければならない、この点がこのマルコ福音書の独自のところ。言い換えると、この福音書の特徴は「招き」にあり、招きへの「決断」にあると言ってよいだろう。
さて、三人の女たちはガリラヤに行ったとしよう。彼女たちはガリラヤで何をすることになるであろうか。
それは、イエスから招きを受け、イエスの後についてゆく決断をする、これ以外ではないであろう。三人の女たちは再び同じことをすることになるであろう。復活のナザレのイエスから招きを受け、復活のイエスの後についてゆく決断をする、これ以外ではないであろう。
言い換えると、三人の女たちに再度の機会チャンスが与えられるということ。彼女たちはやり直すことができるということ。
この福音書の伝えるイエスの為さっていることは一言でいえば「癒し」と「会食」、そうする中で一人一人と向き合っている、このように言ってよいだろう。三人の女たちはこのイエスの為さったことを見て学んできたのであるが、彼女たちはこのことをいまいちど改めて学ぶ機会チャンスが与えられる。白衣をまとった者の勧める「ガリラヤに行く」はこのような再度の機会チャンスを与えられるということ、こういうことではないか。
ここで新約聖書の他の福音書の記述と比べてみることにしたい。
ルカ福音書には「ガリラヤに行く」はない。その理由はこの福音書の考え方にある。そのことに言及することはマルコ福音書の個性をより鮮明にするのに益すると思うので一言述べておくことにする。
ルカ福音書ではイエスの登場はイスラエルの民の長い歴史の中で待望されたメシアの登場、それが成就するのはエルサレム、イエスのメシアたることはエルサレムから世界へ。こう考えるゆえルカ福音書には「ガリラヤに行く」は「ない」。「ガリラヤに行く」の「ある」マルコ福音書はイエスのメシアの出発点はエルサレムにはなくガリラヤにある。ルカとマルコを比べると、マルコ福音書の個性が鮮明になる。
マタイ福音書には「ガリラヤに行く」がある。この福音書のそれは次の意味においてである。この福音書の伝えるイエスは山上にて説教する方。このことは福音書の最終場面でいまいちど描かれる。復活のイエスはガリラヤの山に現われる。弟子たちはイエスの山上の説教をいまいちど聞くために「ガリラヤに行く」。
マルコ福音書の「ガリラヤに行く」は病んでいる者や疎外されている者一人一人と個別に出会い、その一人一人の抱える問題と取り組むイエスにいまいちど会うためであるからして、マタイ福音書の「ガリラヤに行く」との間にかなりの相異がある。
ここでヨハネ福音書にも言及しておく。ヨハネ福音書の21章に記されているところによれば、復活のイエスはテイベリア湖畔に現われる。この湖はガリラヤ湖のこと。この物語によれば、弟子のペトロはここにいるので「ガリラヤに行く」をすでにしていることになる。ペトロがガリラヤに行ったのはなにゆえであったろうか。
物語は復活のイエスがペトロに問う場面を描く。「あなたはわたしを愛しているか」、と。この問いは三度繰り返される。この三度はペトロがイエスを「知らない」と三度言ったことと対応していよう。ここから推量されるのであるが、ペトロがガリラヤに行ったのは逃避のため、エルサレムでの惨めな自分から逃れるためであったと言ってよいだろう。ここは復活のイエスが挫折のペトロを改めていまいちど招く場面と言ってよい。
ヨハネ福音書21章から推量されるペトロのガリラヤ行きの動機は、マルコ福音書16章に登場する三人の女たちのガリラヤ行きのとき、彼女たちが内にもっていた動機と重なるものであったかもしれない。
マルコ福音書は「ガリラヤ」を強調する。ここには歴史的な事情があったと思われる。わたくしはこれについてすでに述べた。述べたことはわたくしの推定でしかないのだが、それをいまいちど短く述べることにしたい。
ガリラヤに教会的集会が成立し、マルコ福音書一六章の三人の女たちはそれを担っていた。このガリラヤに成立していた集会はこの地に生じた政治的社会的変動により離散を余儀なくされ、当時の大都市のアンテオケに逃れ、そこで集会を成立させるに至った。三人の女たちはその集会の礎となった者たちであった。これがわたくしの推定である。
このアンテオケ教会に一時期パウロが働いていた。そのパウロの書簡のガラテヤ書にアンテオケ教会にてなされていた次のような宣言文が記されている。
「キリストにあるあなたがたは、もはや、ユダヤ人もなく、ギリシャ人もない。奴隷の身分も自由の身分もない。男も女もない。」
この宣言文は洗礼式の際に朗読され教会員となるに際しての同意の表明であった。
この宣言文の意味するところは明瞭である。民族の違い、社会的身分の違い、性の違いによって制限されたり、差別されたりする、これが社会の現実であるがそれを突破してゆく、これがキリスト教会の合意。アンテオケ教会はこの教会の合意を洗礼式の際に明らかにした。
この教会の合意を実施してゆくことは極めて困難なことであった。当時反ローマのユダヤ民族主義運動が興隆していたからして、「ユダヤ人もなく、ギリシャ人もない」の宣言はこの運動を担っている者たちの感情を逆なですることであり、激し怒りの対象となることは必至であったろう。ローマ帝国は奴隷制を体制とするものであったからして、「奴隷の身分もない、自由の身分もない」の宣言は反ローマ体制を唱えるとして当局の弾圧を被ることは必至であったろう。「男も女もない」の宣言はローマ帝国の一般市民が良き慣習としていた男女の秩序を破壊するとみなされ非難の的となるのは必至であったろう。
アンテオケ教会はこの状況の中でこの教会の宣言を明示し続けた。わたくしの推定であるが、このようなアンテオケ教会の礎となったのはマルコ福音書一六章にその名が記されている三人の女たちであった。このような教会の宣言を生み出し、この教会の宣言を明示し続けたのはこの三人の女たちの信仰を受け継いだ者たちであった。
この三人の女たち、マルコ福音書の最終章において描かれているところをいまいちど読んでおこう。
三人の女たちはイエスの十字架処刑死の様を遠くからであったが見つめていた者たちであった。三人の女たちは十字架処刑の果て抹殺されたイエスに油を塗って本格的に埋葬するために墓に来た者たちであった。三人の女たちは自分たちの身に及ぶであろう危険を承知したうえでこれを敢えて決断した者たちであった。
わたしたちのマルコ福音書の読みは、この三人の女たちの物語を読むことをもって終わりとする。