「創世記四章(2)」
創世記四章(2)
1 〈カインという存在〉
ここで、創世記四章のなかほどにしるされているところも丁寧に読んでおくことにしたい。
4章12
神ヤハウエはカインに言われた、「あなたは地上をさまよい、さすらう者になる。」
この「地上をさまよい、さすらう者になる」は〈土から離れる者になる〉ことを意味する。なぜカインはそうなったのか。
4章11
「あなたが流した弟の血を飲み込んだ土を耕しても、土はあなたのために作
物を産み出すことはない。」
カインがアベルを殺しその血を土に流したため、土は食べ物を産む使命を神ヤハウエから託されていたその委託に応じられないとするに至った。この状況の中でカインは〈土から離れる者になる〉ほかなかった。
このときカインは神ヤハウエに向かってこう言った。
4章13
「わたしの罪は重すぎて負いきれません。わたしが地上をさまよい、さすらう者となってしまえば、わたしに出会う者はだれであれ、わたしを殺すでしょう。」
カインは言う、社会の掟が自分に適用され、犯した罪と同量の償いが要求され、自分は死刑に処せられるにちがいない、わたしの心は死の恐怖にさいなまれ、それに耐えることができない。
すると神ヤハウエはカインにこう言われた。
4章15
「カインを殺す者は、だれであれ七倍の復讐を受けるであろう。カインに出会う者がだれも彼を撃つことのないように、カインにしるしを付けられた。」
原初史物語はここで、神ヤハウエはカインが生存を続けることについて承認し、そのために配慮したと証言する。この原初史物語作者の証言の意味するところは何であろうか。
原初史物語はこの後、カインは「町」を建造したと語る(四章一七)。この語りは〈土から離れた者〉として生存することになったカインが「町」を建造したということを語っているのだが、このことは次のように言わなければならない。〈権力機構を備えた国家〉を建造したのは〈土から離れた者〉であったということ。
原初史物語者はこの創世記四章の物語展開において、殺人をおこなったカインの生存と存続に必要な配慮を神ヤハウエが為したと、それを活き活きとした文章でしるしている。ここには、わたくしの推測を言うと、原初史物語の〈人間歴史〉についての考えがあるのではないか。
原初史物語は、〈人間の歴史〉は〈カインの歴史〉となる、すなわち〈土から離れた者〉が〈権力機構を備えた国家〉を生み出し形成する、そのような〈人間歴史〉となる、と語った。わたくしはここをそう読む。
原初史物語はしかしそのことをふまえたうえで、〈カインの歴史〉に生じる問題について語ってゆく。そこを丁寧に読んでみよう。
2 〈カインの末裔〉
原初史物語はこの後、〈カインの末裔〉のことについてしるす。カインの末裔に〈レメク〉がおり、その〈レメク〉に関わるところを詳しく述べている。
レメクに関して初めにしるされていることは「レメクは二人の妻をめとった」であるが、これに関して月本昭男『創世記Ⅰ』の解説は適切である。
原初史物語はエデンの園の物語では一夫一妻であるが、洪水物語では〈巨 人伝説〉を用いて男による女に対する恣意的暴力によりそれが破壊され、それが洪水の原因であると語られる。「レメクは二人の妻をめとった」この文章は、洪水物語の冒頭にしるされている洪水の原因となるものについて、あらかじめ示したということになる。
ここで、物語がその後にしるしていることについてみてゆこう。そこにはレメクに三人の息子がおり、その三人の生業についての詳しい言及ある。そこを丁寧にみてゆこう。
レメクの息子の「ヤバル」、この者は「家畜を飼い天幕に住む者」としるされているが、月本昭男『創世記1』の解説の助けを得て言うと、このヤバルはその名の意味(ヤバルの意味は「運ぶ人」)からみて、ラクダやロバを用いる隊商として都市と都市の間、国家と国家の間に物資を運搬する人であったようである。この時代は貿易商が活躍する経済的繁栄の時代となっていたことを、このレメクの息子の「ヤバル」というところは示しているようである。
次にレメクの息子の「ユバル」、この者は「竪琴や笛を奏でる者」としるされている。この者は宮殿や神殿で楽器を奏でる楽士であった。この時代は楽士がそれとして成り立つ文化的状況になっていた時代であったとみてよいだろう。
レメクの息子の「トバル・カイン」、この者は「青銅や鉄でさまざまの道具を作る者」としるされている。ここに出ている「青銅」であるが、これはエルサレム神殿には青銅製の祭具が使われていたので、この者はそれを作っていた者であったとおもわれる。また、ここに出ている「鉄」は〈農器具〉に関わるが、それだけでなく当時の軍隊が持つ最大の武器の〈鉄の戦車〉の製造に関わるものであったとおもわれる。
ここで、このようにレメクの息子たちの生業が詳しくしるされているのだが、この記述によって示されていることは、カインによって建造された〈権力機構を備えた都市国家〉は経済的繁栄と文化的状況を生み出すに至っていたが同時にこの国家は武器の製造を必要とする〈武装国家〉となっていた。ここはそう解してよいとおもわれる。
この記述の後に〈レメクの歌〉と呼ばれている歌がしるされているが、この歌はその〈武装国家〉と密接に関係していると言ってよい。
4章23
「レメクは妻に言った。
『わが声を聞け。わが言葉に耳を傾けよ。
わたしは傷の報いに若者を殺す。カインの復讐が七倍なら、レメクのためには七七倍。』」
この〈レメクの歌〉は報復復讐のためなら殺人をすることはみとめられることであるとしている。報復復讐のためであるなら殺人は七七倍してもよいとしている。この「七七」という表現は〈際限なく〉という意味であろう。
この〈レメク〉は〈カイン〉の末裔であるとしてしるされている。そうするとこの〈レメク〉の考え方、すなわち報復復讐のためなら殺人をすることはみとめられるとするこの考え方は土から離れ「町」を建造したカインから由来するということ、原初史物語がここで言っていることは、そういうことであるとおもわれる。
ここで、この〈レメクの歌〉の創世記四章における文脈上の位置をみておく。
原初史物語の作者は4章の冒頭にカインがアベルを殺した物語を置き、四章の中段でカインに対する報復復讐を禁じる神の言葉を置く。「主はカインに出会う者がだれも彼を撃つことのないように、カインにしるしを付けられた。」(五章一五)。そのうえで報復復讐を肯定し主張する〈レメクの歌〉を置く。そうすると、〈レメクの歌〉は報復復讐を禁じる神の言葉を知っておりながら、その神の言葉をないがしろにし、その逆をおこなうものとなっている。
原初史物語作者はこの四章の物語の組み立て方によって何を言おうとしているだろうか。ここでわたくしの推察するところを言うと、
原初史物語の作者は人間歴史が〈報復戦争〉へと傾斜してゆく現実を見据えているということ。すなわち、神の意思が〈報復戦争〉を禁じているということを知っている、そのうえでこの神の意思をないがしろにし、その逆をおこなう人間歴史の現実を原初史物語の作者は極めて冷静に見据えているということ。ここはそういうことが物語られているのではないかと、わたくしにはおもわれる。
原初史物語の作者はしかし、この人間歴史の現実を見据えることをもって創世記四章を終えることはしない。この人間歴史の現実に対し神が新しいことを為すということ、それを物語る。ここで、そこを丁寧に読んでみよう。
3 〈希望の歴史〉
創世記四章の終わりに重要なことが述べられているようである。
4章25
「再び、アダムは妻を知った。彼女は男の子を産み、セトと名付けた。カインがアベルを殺したので、神が彼に代わる子を授けられたからである。」
ここにしるされていることは、ここに誕生した「セト」はアベルに代わる者である。言い換えると、「セト」はカインとは別の系譜を生んでゆく者である。
その〈別の系譜〉のことは次の章の五章にしるされており、これについての詳しいことは五章を読むとき確認するが、ここで必要があるのでその〈別の系譜〉の結びにあるものを確認しておきたい。
〈別の系譜〉の結びには「ノア」の誕生がしるされる(5章29)。5章にしるされている〈別の系譜〉は、アダムからセトへ、そしてノアにつなぐものとなっている。言い換えると、セトの誕生はノアの登場を準備するためのものであった。さらに言い換えれば、ノアはカインの系譜から由来していないということ、それが語られている。
創世記六章からの洪水物語において登場するノアは〈農夫〉である(9章20)。ノアは〈土に仕える者〉として登場する。
原初史物語は創世記四章の結びのところでカインとは別の系譜から由来するセトの誕生をしるすことによってセトから由来するノアはカインとは別の系譜からの者、すなわち土から離れ「町」すなわち権力機構を備えた国家を建造したカインとは別の系譜にある者、すなわち〈土に仕える者〉の系譜にある者とした。
原初史物語は創世記6章においてノアは生きとし生けるものが生存の途絶の危機にある中で〈土に仕える〉ことを担う者として立てられたと物語るのであるが、その創世記六章の記述の道備えをここ四章の結びでしている。その意味で創世記四章の結びの25の〈セトの誕生〉の記述は原初史物語の展開において重要な位置にあると言ってよい。
原初史物語は創世記4章にしるした物語を結ぶに当たってさらに次のように述べた。ここは原初史物語の展開においてきわめて重要とおもわれる。ここも丁寧に読んでおこう。
4章26
「主(ヤハウエ)の御名を呼び始めたのは、この時代のことである。」
原初史物語は〈ヤハウエ〉の神名が呼ばれ始めたのは〈セト〉の誕生からであるとする。これは歴史的にそうであったかどうかの問題ではなく次のことを言うものであったとおもわれる。すなわち、〈ヤハウエ〉の神名が呼ばれるようになったのはカインとは別のセトの系譜からであるということ。
〈ヤハウエ〉の神名はヘブライ人が苦役の地エジプトを脱出するに当たってそれをうながしそれを実現した神の名として出エジプト記に登場している。苦役の地エジプトからの脱出とは〈権力機構を備えた国家〉からの脱出ということであった。
そうすると原初史物語の作者は〈ヤハウエ〉の名の神はカインとは別の系譜の中で呼ばれ始めたと創世記4章の物語を結ぶに当たって述べたが、このことは〈ヤハウエを神とする共同体〉は〈権力機構を備えた国家〉からの脱出をうながしそれを実現した神を神とする共同体であるということ、それを創世記四章の物語を結ぶにあたって明言したということ、ここはそう読んでよいとおもう。
この明言の意図は、〈ヤハウエ〉なる神を神とする共同体は土から離れ「町」すなわち権力機構を備えた国家を建造したカインからではなく、抹殺されたアベルの代わりとして生まれたセトすなわち土から離れず土に仕える者からであるとする、そこにあるとおもわれる。
創世記四章の物語の結びにおいて言及されているヤハウエの名の神は六章の物語においてノアに委託をする神の名である。ヤハウエなる神はノアに生きとし生けるものの生存の途絶の危機の中で〈生き続けること〉を委託する。このノアは〈農夫〉である。ノアは〈土から離れず土に仕える者〉である。
ここで〈文脈〉を振り返っておこう。
創世記四章の物語は3章の物語を受けている。3章において語られたことは〈善と悪を知る知識の木の実を食べた〉。この隠喩の意味はソロモン王政の知恵を讃美しこれに依存することであるが、4章ではこれを受けてソロモン王政の国家において経済的繁栄があり文化の高揚があり青銅と鉄の加工の科学技術が飛躍的に伸展したということが物語られるのだが、そこで同時に示されていることはこの王政国家の知恵は復讐の理由で戦争をする国家となり、この復讐戦争の連鎖の中で限度を知らない人間の殺戮を繰り返すこととなっているということ。
しかし、4章の物語の結びでこれとは別の系譜が生まれたこと、すなわち〈「善と悪を知る知識の木」の実を食べた〉結果、土から離れて権力構造を備えた国家を建造するに至ったがこれとは別の系譜が生まれたということ、原初史物語はこのように語る。
創世記四章の結びの〈セトの誕生〉のことは5章の記述につながる。5章の記述は人名の連続で読者は無味乾燥の感を強いられるが、この五章は結びで〈ノア〉を登場させており6章から始まる〈洪水物語〉につなげられている。4章の結びで述べられた〈別の系譜〉は5章の記述を経て6章から始まる〈洪水物語〉において生きとし生けるものの生存の途絶危機の中で〈生き続けること〉の委託を受けるノアにつなげられている。
原初史物語は創世記4章の結びで〈報復戦争〉を肯定し主張するカインの末裔に対し神はそれに対抗する者を誕生させたと語る。原初史物語はその後神はその者に〈報復戦争〉の暴風雨の中で〈生き残ること〉を命じ、神が創造した生きとし生けるもの全ての〈命の保全〉をさせるための〈箱船〉の建造を託したと証言する。
原初史物語4章の物語の結びで〈セトの誕生〉についてしるした。これは〈希望の歴史〉の始まりを告げるもの、そう読んでよいとおもう。