「地」
1章9~10
「神は言われた。『天の下の水は一つ所に集まれ。乾いた所が現れよ。』そのようになった。神は乾いた所を地と呼び、水の集まった所を海と呼ばれた。神はこれを見て、良しとされた。」
ここで原初史物語の作者は、神は天と地の創造の業の三日目に「乾いた所」を造った、神はその「乾いた所」を「地」と呼んだ、と語る。そして、神はこの三日目に「水」を置く所を創造し、その「水のある所」を「海」と呼んだ、と語る。
ここで原初史物語の作者は、神は「地」を「乾いた所」として創造した、すなわち「地」を「洪水」のない所として創造した、つまり、「洪水」の暗喩で言われている戦争暴力のない所として神は「地」を創造した、と語る。
ここで原初史物語の作者はこう語ることによって、実は次のことを暗示しているとおもわれる。すなわち、「地」は「水」を大量に存在させている「天」(大空)の下にあるということ、さらに、「地」は「水」を大量に存在させている「海」と隣り合わせにあるということ。
すでに言及したが、預言者ダニエルの黙示によれば、「海」は「四つの獣のいる所」であり、ダニエルの言う「海」の中にいる「四つの獣」とは古代オリエント世界に登場した巨大な国家の四つを暗喩する。
新約聖書のヨハネ黙示録もこう述べている。
「一匹の獣が海の中から上って来るのを見た。」(13章1)
この「海の中から上って来る獣」とは巨大国家のローマ帝国のことである。
ヨハネ黙示録の著者は結びでこう述べた。
「わたしはまた、新しい天と新しい地を見た。最初の天と最初の地は去って行き、もはや海もなくなった。」(21章1)
わたくしは、「海がなくなった」とまで語ったこの黙示録著者の思いに共感
を禁じ得ない。
原初史物語の作者が「地」は大量の水のある「海」と隣り合わせにあると語ったとき、このような暴力的存在の国家と隣り合わせにあるということを言った、とおもわれる。
ここでも問いが生じるだろう。神はなにゆえ「海」を創造し「地」と隣り合わせに置いたのか、横暴な国家の在り場となり得る「海」をなくすことをせずこれを存在させたのか。
この問いの「なにゆえ」については、「闇」を「夜」という仕方で存続させた神への問いの「なにゆえ」のところで原初史物語作者ならこう応じると推測した、それと同じことをここでも推測することになる。すなわち、わたしたちはこのような「緊張」の世界と時間の中で生きることへと招かれている。
ここで確認しておくが、原初史物語の作者は古代オリエントの宇宙観を用いているが、それを述べようとしているわけではなく、イスラエルの民が現実に直面している危機的状況に関心を持っていた、それを述べようとした。
地は大量の水を保持している二つのものに囲まれている。いつなんどき、大量の水が襲いかかってくるか、それが襲いかかってくれば地にある生命あるものは死滅せしめられる、地はその危機的状況に直面している。原初史物語の作者はここで宇宙論を述べているのではなく、地が直面している危機の状況に関わる「臨床の知見」とでも言うべきものを提示しているのではないかとおもわれる。