いのちの躍動 (2021・春)

2021年04月13日 16:48


  イースターを迎えました。皆様いかがお過ごしでしょうか。牧師の縣洋一です。おかげさまで、皆様の祈りに支えられ「初年度」の歩みを終えることができました。本当に感謝致します。コロナという歴史的危機の中にもかかわらず、いつも「教会のどこか」から「お宝!」が発見され、詩編23編にあるような「いつも恵みと慈しみ」に追いかけられていた豊かな初年度の歩みでした。

教会の営みは「受難節」から「イースター」の時を過ごして参りました。受難節の40日間では、苦難の最たる「十字架」から「最も良いもの」が生み出された「驚き」を知らされ、私たち自身の「生き方」として心に刻む時を持ちました。また「棕櫚の主日」には、庭に生えている本物の棕櫚を使い礼拝堂を飾りました。「イースター」では、復活した主イエスの居場所が「ガリラヤ」であると告げられている意味を探りました。ガリラヤは弟子たちと「出会った場所」であり、「失敗しても、そこからまた共にやり直せばよい」との深い憐れみがそこに込められていることを知る時となりました。さて、イースターで「定番」になりつつあるものが、役員の方が作って下さる「手作りイースターエッグ」です。一つ一つに手書きのハンガリーの絵柄が描かれ、それを「もみの木」ならぬ「オリーブの木」にぶら下げた「イースターツリー」を見るのが「イースター」の楽しみになっています。(お土産に一つもらえるのも、もう一つの楽しみです!)

更にこの冬から春にかけて、「びっくり箱」のように驚かされたのが「教会の庭」です。特に「夏ミカン」が大収穫で、「所狭し!」と言わんばかりにみっしりと実りました。いつも手入れをしてくださる緑藤造園さんが梯子に登り収穫して下さり、速報では「昨年の三倍はある」とのことで、早速ブルーシートを敷いてその数を数えてみると、なんとなんと258個!礼拝では「12の籠」に一杯に盛られた夏ミカンが主の食卓に並び、「秋の収穫感謝」ならぬ「初春の収穫感謝」の時を思いがけず持つことができました。感染者数との「暗い数字」とのにらめっこに疲れた私たちに、神様は、「実り」という「明るい数字」とのにらめっこを与えて下さりました。そして何といっても「春」に教会の庭に「桜」があるのは本当に嬉しい限りで、今年も満開の桜が咲き誇りました。聖書の舞台のパレスチナは、欧州・アジア、アフリカに囲まれ、時に「貿易品に付着」して、あるいは「砂塵と共」に、あるいは「鳥の糞に交じって」多種多様な種が運ばれてきたそうです。なるほど、主イエスがその「いのちの躍動」を前に、「なぜ...思い悩むのか。野原の花がどのように育つのか考えてみなさい。」(ルカ12:26~27)と言われたのも頷けます。まだ当分、カメラを持って教会の庭をうろうろする日々が続きそうです。