偏見と先入観
こんかいは購読の新聞に掲載の「ヘイトの構造」と題する、斎藤美奈子(文芸評論家)という方の文章を紹介する。
「3月15日、ニュージーランドで起きた銃乱射事件。これはどう見てもヘイトクライム。思い出したのは「ヘイト(憎悪)のピラミッド」だった。ヘイトスピーチ関係の本にはよく出てくる概念で、五層構造のピラミッドは、下から順に①偏見や先入観、②偏見や先入観に基づく行為、③差別行為、④暴力行為、一番上は⑤集団虐殺。「殺せ」「死ね」「叩(たた)き出せ」などのヘイトスピーチを放置したら、やがてヘイトクライム(暴力や虐殺)に発展するという悪夢のような構造である。
逆に言うと、一件の虐殺事件の背後には多くの暴力が、その下にはさらに多くの差別的な行為があるってことだ。とても人ごととは思えない。関東大震災の朝鮮人大虐殺は、偏見や差別が虐殺に発展した顕著な例だった。十九人が死亡した二〇一六年七月の相模原事件も障がい者差別に基づくヘイトクライムだろう。
菅官房長官は「国際社会と連帯してテロと断固として戦う」と述べた。が、ヘイトクライムの種は外から入ってくるのではなく、足元に眠っているのである。北朝鮮の脅威を過剰に煽る報道はピラミッドの②に、高校無償化から朝鮮学校を除外する政府の方針は③に該当しよう。それは違うという人はおめでたいよ。」
わたくしはこの文章から示唆を受けた。差別はヘイト(憎悪)の五層構造の一番下にある「偏見や先入観」から生じるということ。そして、「偏見や先入観」の問題は外から来るというのではなく、内から生じるものであるということ。
わたくしはこの示唆をふまえて思うことは、この内から生じる「偏見や先入観」からわたくしも自由ではないということ、わたくしも「偏見や先入観」で人と事を見、結果として差別を行っているということ。
福音書を読むと、そこに伝えられているイエスは偏見と先入観を持っておらず、そこからまったく自由な方であることを知る。わたくしが福音書のイエスの物語をなお読もうとしているのは、わたくしも「偏見や先入観」から少しでも自由になりたいと願っているからである。