共 鳴
今号は、福島県在住の作家・僧侶の玄侑宗久とおっしゃる方の文章(購読の新聞に載っていた)を紹介する。
その文章の題は「無熱の慈しみ」。これは『維摩経』(ゆいまきょう)という経典に説かれており、意味は「反転して憎しみに転じることのない菩薩の慈悲心」のことであるとのことである。
わたくしはこの「無熱の慈しみ」と題する文章におおいに共鳴した。それを書いてみる。
北朝鮮のミサイル発射の知らせと同時に児童全員に防空頭巾をかぶらせ逃げる訓練をさせている小学校があるのだが、そこの先生によれば、児童の半数ちかくが「北朝鮮なんてやっつけちゃえ」的な言葉を口にするようになったという。
そこで、玄侑宗久僧侶はこう書いておられる。
「是非安倍総理に伺ってみたいのだが、これは『愛国心』だろうか?
おそらく答えてくださらないだろうから自分で答えるが、そう、これはいわゆる愛国心だ。
もしも北朝鮮の先制攻撃で戦争が始まれば、彼らは間違いなく日の丸の小旗を振って戦勝を念じ、結果的には相手国民の空爆死をも喜ぶことになるだろう。
まず子供たちに教えるべきことは、このような『愛』はいつでも憎悪に反転し、また『正義』こそ人を悪逆非道に走らせるということだ。
特に自国ファーストの風が強まった昨今では、どの国も自国への愛のために他国を踏みにじる。」
玄侑宗久僧侶はこう書いた後、『維摩経』に説かれている「無熱の慈しみ」に言及、その意味は「反転して憎しみに転じることのない菩薩の慈悲心」であると書いている。そして、この文章をこう結んでおられる。
「無謀な力を抑えるのがより強力な力ではないことを、なんとか子供たちに伝えられないものだろうか。」
わたくしはこの文章におおいに共鳴したしだいである。