創世記の「箱舟物語」から

2019年01月11日 10:30

「優生思想」と呼ばれているものがあります。この思想は存在してよいものと存在してはいけないものを分け、後者を隔離し消滅させようとするものであります。

この思想を克服し無化することは、聖書を読む者の責務とおもわれますので、今号はこの思想を克服し無化する作業の一環として、聖書の語るところを書いてみることにいたします。 

創世記に「箱舟物語」があります。物語は箱舟に乗船したのはノアたちと動物たちであったとしています。つまり、動物たちも乗船したとしています。そうすると、ここにはノアたち人間だけが生き残ればよいとする考えは無い、ここには動物は生き残れなくてもよいとする考えは無い、そう言ってよいかとおもわれます。

この物語でさらに注目したいところがあります。それは、神がノアに〈動物の乗船のとき、「清いとされている動物」だけでなく、「清くないとされている動物」も乗船させよ〉と語ったところであります。この神の言葉はこう解してよいかとおもわれます。

すなわち、「清いとされている動物」だけが生き残ればよいとする考えは無い、「清くないとされている動物」は生き残れなくてもよいとする考えは無い。

ここで言われていることは、神は人間が決めた定めを無効にする、神は人間が動物を「清い」と「清くない」に分け、後者を消滅させてよいとするその人間の考えを無効にする、こう言ってよいかとおもわれます。

ここには神の否が示されているとおもわれます。すなわち、存在してよいものと存在してはいけないものを分けるという人間の考え方に対し、神は明確な否を示した、ここはこう言ってよいのではないかとおもわれます。

創世記の「箱舟物語」、この物語は、「優生思想」なるものを批判する、その意図をも持って書かれた、そう言ってよいのではないか。

「優生思想」なるものは、存在してよいものと存在してはいけないものを分け、後者を隔離・消すという反人権的思想、創世記の「箱舟物語」は三千年も前に、これを根底から批判するべく書かれた物語、こう言ってよいのではないか。