問答無用
テロリズムの事件があちこちで生じている。テロリズムの事件にみられる特徴は「強引」であること、「問答無用」であること。 この「強引」であること、「問答無用」であることは、わたくしのみるところ、この国日本でここ数年続いている。
この流れをつくりだし、押し進めているのは、これもわたくしのみるところ、今この国の首相の安倍晋三さんである。
安倍さんは自分としては問答を尽くしている、強引なことはしていないと言うだろう。世論調査なるものをみてみると、かなり多くの人々は安倍さんの進め方に退けなければならい強引さや問答無用はないとしているようだ。しかし、わたくしはちがう。その理由と根拠を一つだけ挙げると、この国の自衛隊が海外に派遣され、そこで事情が発生し、「交戦」が避けられないとき、このたび決定の国家安全保障法の下では武器の使用がかなりゆるやかとなったがために、交戦相手の軍兵士や人々を殺傷してしまう可能性がこれまでよりもはるかに高まったわけだが、この殺傷について、問答が 尽くされたと言い得るか。このことに関心を持って報道に注意を注いできたわたくしであるが、この最重要の問題について問答が尽くされたとは到底思えない。これが、このたびの国家安全保障の法の決定が「強引」であり「問答無用」であったと言わざるをえない理由と根拠の一つである。
今この国には、多くの人が賛成するなら、多少の強引、問答無用は許容されるとする空気があるが、わたくしはこの「空気」を問題にしなければならないと考える。
テロリズムの事件の実行者は自分のすることを「多少の」の中にあるとする。この「多少の」についてはこの社会に一応の常識はあるが、それが通用しないことが生じる。このとき考えなければならないことがある。
それは、多くの人々が賛成するなら多少の強引さや問答無用は許容されるとする空気は「強引」「問答無用」を醸成することになるということ、である。
わたくしのみるところ、安倍晋三さんと彼に賛成する人々は、「強引」「問答無用」を醸成させているのではないか、ということである。安倍さんたちは、自分の考えを通したいとき、強引に問答無用にそれをおこなっていいとする空気をこの国社会に醸し出しているのではないか、ということである。