発想の転換
「コペルニクス的転換」という言葉がある。発想を逆転させるという意味である。地球は動かない、動くのは太陽であるとする考え方からその逆の動くのは地球であって太陽は動かない。こういう発想の逆転を言うときこの言い方が用いられる。
「少数者」の人権を主張し守る運動の歴史の中でこの「コペルニクス的転換」が起って行った。それが起こる前は「少数者」が「多数者」に合わせるため自分を変えるべきとされていたが、それが起こってからは自分を変えるのは「多数者」であるという「発想の逆転」が起こった。
ところが、政治的には、「少数者」を「施設」に収容する、それがおこなわれていった。その「施設」は「多数者」から遠隔の地に造られることが多かった。そのため「多数者」が「少数
者」に接する機会が失われ、「少数者」を知ることなく来てしまい、「少数者」
に学ぶことなく来てしまった。「発想の逆転」は政治的にはなされてこなかった、退けられてきたと言わざるをえない。
しかし、この政治的流れに逆らって「少数者」と接し、出会い、学ぶ機会をつくる運動がなされ、それが多様に展開され、この運動から多くのことを学ぶことができた。これからも学び続けたいと心している。
わたくしはこのような学習体験の中で聖書をいまいちど読んだ。知らされたことは、聖書は「少数者」のいるところに自分を置き、「少数者」が「少数者」に向き合い、「個」が「個」に向き合うことを語っているということであった。
新約聖書のヨハネ福音書にはそれが明瞭にしるされている。「良い羊飼い」の比喩を用いてイエスは言われた、「わたしは羊の名を呼ぶ」。この福音書は「個」と向き合う、他に換えることのできない固有の「個」に向き合うナザレのイエスを伝えている。
わたくしもこの聖書の語りにうながされ、このようにあることができるようにと切に願う。