種を蒔く人 (2022・夏)
『種を蒔く人』
皆さんいかかがお過ごしでしょうか。牧師の縣洋一です。セミの鳴き声も響き渡り、いよいよ「夏本番」を迎えました。教会暦では「聖霊降臨節」を歩む中、7月の第1週には創立記念礼拝が持たれました。なんと今年は節目の95周年!いよいよ5年後には「創立百周年」という更に大きな節目を前に、説教では「今日こそ祝いの日」と題し、マルコ2章にある「断食論争」について学びました。イエス様が語られた「花婿が一緒にいる限り、断食はできない。」という言葉に着目し、そこには、「主が共にいる限り、本当には悲しむことができない」という力強いメッセージが込められており、そしてこの方は「織りたての布」「新しいぶどう酒」のような「新しさ」をもって私達に出会って下さる方であることを語り継ぎました。
さて、私はこの教会に着任して3年目になりましたが、今この教会の庭でチャレンジをしているのが「サツマイモ作り!」です。教会には、それこそ以前は幼稚園の子どもたちが駆けずり回っていた「園庭」があるわけですが、その庭を眺めながら、「いつかここで『食べ物』が収穫できたらすごいなあ」、「収穫感謝の日に籠に載せて分かち合えたらどんなに嬉しいかなあ」「信徒の方にもサツマイモが大好きという方がおられたな」と、常日頃から夢見ていました。そんな5月も終わりになる頃でしょうか、「サツマイモを植える時期は5月いっぱい」という情報を耳にし、「この時を逃しては」と、毎度恒例のホームセンターに自転車を走らせました。何せ、収穫物を育てるというのは、恥ずかしながら初めて。恐る恐る「サツマイモの苗はありますか?」と尋ねると、何と最後に2つだけ(4本の苗が一セットのもの)残っていたではありませんか!種類は「紫いも」。店員さんに「あの~、初めて育てるのですが、教えてもらえますか。」と言うと「時間かかりますけれどもいいですか。」と軽くいなされ、いそいそと「苗」だけ教会に持ち帰り、早速シャベルを片手に見よう見まねの畝を作り、8本の苗を植えてみました。果たして、収穫にまで至るのか否かは分かりませんが、大地の恵みを、教会の皆さんと共に「秋」に分かち合えたらいいなあと夢見ております。(今年はベランダのオリーブもたわわに実を付けました!)
福音書にはイエス様が「種を蒔く人」の譬え話をしている箇所があります。聖書の舞台であるパレスチナのやり方は畝など作らず、土俵に力士が塩をまくように、豪快に種を蒔くそうです。良い地に落ちる種もあれば、悪い地に落ちる種もある中で、しかし、「風を気にしたら種は蒔けない、雲行きを気にしたら刈り入れはできない。」(コヘレトの言葉11:4)と、失敗よりも「収穫の喜び」に目を向けながら、大胆に種を蒔き続ける姿を聖書は私達に示します。今、「大地の実り」の代名詞とも言えるウクライナの穀倉地帯が戦火の中にあります。大地の実りを「共に喜べる」ことが、どんなに貴いことであるのかを知らされます。本来、大地は神様のものであり、私たちに委託された万人共有のもの。この戦いが一日も早く終わり、実りの喜びを共に分かち合う日が来ることを祈らずにはいられません。