群 衆
新約聖書の福音書によればイエスの十字架刑にはいろいろな者たちが関わっているが、今日注目しておきたいのはイエスの十字架刑の判決の場に登場している〈群衆〉についてである。
イエスを十字架刑へと策動したのはユダヤ最高法院体制の指導者たちであるが、イエスの十字架刑判決の場でイエスを十字架刑にせよと叫んだのはかれらではなかった。それをさせられたのは群衆であった。ここには重要なことが言われているとおもう。
新聞の報道によれば、政府・財務省の者たちが公文書を書き換えたという、それは安倍政権を擁護するためであったという。わたくしは推測するのだが、その公文書の書き換え作業を実際におこなった者たちというのは策動に乗せられ、それに巻き込まれた者たちであったのではないか。
ここには福音書が描いている物語の写しがある。ユダヤ最高法院体制の指導者たちの策動に乗せられた群衆と同じ者たちが今日ここに登場している。わたくしにはそう見える。
この問題はこの際あらためてしっかり考えておきたい。わたしたちは事を独りで静かに考え、他の人たちと意見を交換し、自己批判を試みる、組織の一員としての立場からして自分の意見を言うことが難しいときでも、人間として守るべきことがあり、人間として越えてはならない一線があるということ。このことをこの際あらためてしっかり考えておきたい。
新聞の報道によれば、このたびの公文書の書き換えを担わされた方が自死されたという。まことに痛ましいことが起こった。新聞報道によれば、この方の遺書に「常識が壊れた」という言葉がしるされていたという。
わたくしはこの新聞報道を読み、おしはからせていただいた。この方はこのたびの公文書の書き換えを担わされる中で、人間として守るべき一線を越えさせられてしまったとの思いに至った、そういうことであったのではないかと思った。まことに痛ましいことが起ったと言わざるをえない。