言葉を出して

2016年12月04日 10:00

  相模原市の施設の「ハンデ」のある方々が殺傷された事件の報に接したとき、わたくしは強い衝撃を受けた。

 

発言すべき責任があると思いつつ、今日まで言葉が出ないままきた。ようやく言葉を発する思いに漕ぎつけた。ここで書くことはわたくしが今知り得ている範囲でとなる。

 

殺傷をおこなった人は自分の正義の基準によっておこなった。この人の正義によれば「ハンデ」のある者は抹消されるべきだ。このときこの人は自分を最終決定権のある人間だとしていた。

 

わたくしは聖書を読んでいる者として、このような最終決定権を持っているとしている者のことを聖書は何と言っているか述べる責任があるとおもうのでそれを申してみるが、

自分に最終決定権があるとしている者を聖書は自分を神にする者であると言い、このことは「最もしてはいけないこと」であるとしている。

 

このたび自分の価値基準で人の生と死を決定することができるとする者が登場した。これは「最もしてはいけない」ことが生じたということ。このたびのことはこういう問題であることを知っておきたい。

 

この「最もしてはいけないこと」はこの国日本の歴史においてくりかえされ、今それがいろいろな形で現出している。その事例をここで挙げることは紙幅によりできないが、このたびのことはこの国のこの問題の氷山の突出部にほかならないとだけは申しておきたい。

 

この問題に取り組む活動・運動が多くの方々により懸命になされてきた。これからも続けられる。わたくしもそれに連なりたいと心している。まずは言葉を互いに出し合いたい。