高校生の訴え
購読する新聞に、国連の場で「気候行動サミット」が開催され、スウェーデンの高校生のグレタ・トウンヘリさんが演説し、その演説の全文が掲載されている。
彼女は国連に集まった工業先進国の指導者たち向かってこう語った、
「人々が苦しみ、死にかけ、生態系全体が崩壊しかけている。私たちは絶望に差し掛かっているのに、あなたたちが話すのは金のことと、永遠の経済成長というおとぎ話しだけ。何ということだ。」
わたくしはこの彼女の演説文章をわたくしへの批判として読むほかなかった。というのは、わたくしは生態環境が崩壊の危機にあることを訴える文章を以前には書いていたが、近年はその訴えをしなくなっているからである。
その原因は、いくら訴えてもなんにもならないではないかというあきらめの感情に制圧されていることにある、とおもう。
このたびのスウェーデンの高校生の演説文章は、わたくしを問うものにほかならない。
ハンナ・アーレントの『全体主義の起源』の中にこういうことが書かれている。
ドイツのナチス支配の時代のヒトラーが犯した最大の問題は「虚無」であった。全体を掌握した権力は、人々に何をしてもムダであるということを力ずくで示し、人間の中から抵抗心を奪い取った。これがこの時代に犯された最大の問題であったのである。
この何をしてもムダだという虚無は、今日いろいろな形と内容において生じているとみなければならない。
少数者の言うところが多数者によって圧殺され、それが常態化する中では、何をしてもムダだとする虚無が生じる。この虚無は、ひとごとではない、ほかならぬわたくし中に入り込んでいると言わなければならない。
聖書の初めにある創世記には全地を壊滅させた洪水物語が描かれている。この物語は生態環境の全的崩壊を描く物語である。
聖書の解き明かしのつとめにある教会のわたしたちには、この物語を、心入れて読み、そして語ってゆく、その責任があるとおもう。